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執筆者の写真可児波起

【僕の宝物】というお話。STAND WAVE「可児波起」




【僕の宝物】のお話。


僕は、25年前にHIP HOPグループ

「STAND WAVE」

を作りました。


STAND WAVEという名前は、僕の「波起」をなんとなく英語にした名前で、僕と一緒に25年間歩んできました。


29歳でメジャーデビューするのですが、それまでは、音楽だけでは生活ができないので、重度の心身障がい者の方の介護の仕事をしながら音楽活動をしていました。



僕の仕事柄か、STAND WAVEは色んなところからお声かけをいただいてボランティアライブをしていました。

「街のお祭り」「高齢者施設」「障がい者施設」「児童養護」施設などなど。。。



STAND WAVEの歌は「生きる・大自然」といった普遍的なテーマを優しい言葉で歌います。

きっと、HIP HOPというイメージとはかなりかけ離れているのでしょう。


多くの方に愛していただきました。



彼女は当時、中学3年生。目がくりくりした、ショートカットの女の子、というをなんとなく覚えていました。

「さゆりちゃん」


3年ほど前。そう出会ってから20年経った。

さゆりちゃんから、突然、SNSを通じてメッセージが来ました


「覚えていますか?まだ、STAND WAVEが大好きです!」


と。


僕は記憶を辿りながら、彼女のことを思い出しました。


今の彼女のSNSを見ると、小さなお子さんとの写真がいっぱい。

お母さんになっていました。


それからは、彼女のSNSで、STAND WAVEを紹介してくれたり、コメントをくれたり、また、たくさん応援してくれるようになりました。


ただ、僕は、現在は音楽活動はお休み中で、いつ再開するかも決めていません。



すると、さゆりちゃんから

「CDって、まだ売ってますか?」

と。



中学3年生だった、当時のさゆりちゃんは、STAND WAVEのライブの後に、缶の貯金箱を持ってきて、1,500円のCDを買ってくれたんです。


全部硬貨だったので、一緒に数えました。彼女にとっては、大切な、かけがえのないお金を、STAND WAVEのCDに使ってくれました。


そんなメッセージが来たので、お正月に、実家に帰った時に、家中を探したら、4枚のCDが出てきました。


STAND WAVEの大切な「作品」たち。



それぞれ4枚に、そのアルバムの「テーマ」となる言葉とサインを添えて、彼女に送りました。



その晩、メッセージが届きました。

15秒の動画。


彼女のまだ小さい息子ちゃんが


「かにしゃん。しーでぃーありがとっ」


と動画の向こうで、一生懸命話してくれました。



いつ以来かな。

ポロッと、とても暖かい涙が、僕の目から出ました。



STAND WAVEの代表曲「優しくありたい」という曲は、カラオケ「DAM」に入っています。


1曲歌われると「4円」僕に印税が入ってきます。


明細が送られてくるのですが、毎月1,000円、印税が入ってきます。


つまり、16年前に発売した曲が、今も、毎月、250回以上歌ってもらえているのです。


1,000円という金額ではなく、250回という数字に、毎月驚いています。



僕が、心を、愛を、魂を込めて紡いだ曲たち。STAND WAVE。


いまも、誰かの心で鳴り続けていることを知れる大切な機会。



今も、STAND WAVEを愛してくれてる方々に、心から大きな感謝を。



本当にありがとうございます!


著者名:
【可児波起:海辺の部屋CEO】
ラップミュージシャンとしてメジャーデビュー。障がい者の介護職をするラッパー「介護ラッパー」としてフジテレビで2度特集。ビジネス領域では、「デジタルマーケティング」「Webマーケティング」のスペシャリストとして「ナショナルクライアント(東証プライム)企業」で、戦略コンサルタントなどを行う。高速のキャッチアップ、PDCAで、「確実に成果を出し」続けている。
「マーケティングは『愛』である」という、「人の優しさ」を大切にしている
ポートフォリオサイト:
https://www.behance.net/namikikani

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